対談 The Road to Specialists

対談:平 邦範 × 浮田 直宏

 

The Road to Specialists

 

人と人から道が生まれる。対談

 

所長の浮田が、お客様の本音を聞き出す社長対談シリーズ第10弾。
今回は、かごしま黒豚の生産・飼育から囲う販売、料理すべてをグループで提供し、
「農商工連携88選」の選定を受けられた
有限会社霧島高原ロイヤルポーク 代表取締役社長 平 邦範氏にお話を伺いました。

 

浮田-本日はお忙しい中、ご協力頂きましてありがとうございます。
まず、事業を始められたきっかけをお伺いしてもようろしいでしょうか。

-喜界島出身の私が黒豚に出会ったのは25年前です。その当時、埼玉県で仕出し店を営んでいました。その頃、同郷のお年寄りに奄美の郷土料理である「豚みそを食べたい」といわれたのがきっかけです。しかし、なかなか思うような味がだせずに、おいしい豚肉を探しました。その頃出会ったのが霧島の黒豚だったのです。
その当時は、埼玉と鹿児島を行ったり来していたのですが二兎追うものは一兎も得ずになりかねない状況でした。決断しなければいけないと思った時に縁もゆかりもない霧島の地に「黒豚」がいるということだけで移り住んだのですから若気の至りというか、今考えると身震いしますね。

浮田
-埼玉の方でも成功されていたにもかかわらずご家族での移住は子供さんもいらして大変なご決断だったでしょうね。
でも、それもいずれはふるさと鹿児島(喜界島)に帰りたいという望郷の念があられたからだと思いますが、鹿児島に戻ってこられてからどのような経緯をたどられたのでしょうか。
-黒豚に導かれるように鹿児島にもどり、最初は国分に住まいをおいて、肉の卸を始めました。昭和63年に黒豚の流通専門の㈲霧島高原ロイヤルポークを設立しました。
浮田-高級感が伝わるとても良い社名ですね。どのような意味があるのでしょうか。
-社名の由来ですか。縁あってここ霧島の地に来たわけです。霧島の爽やかな大自然をイメージして「霧島高原」とし、王様にも献上できるようなものを作っていきたいとの想いから「ロイヤルポーク」としました。

また、平成元年には霧島に住まいを移し、霧島永水に販売から飲食まで手がける㈱フロンティア霧島を設立、産直レストラン「黒豚の館」をオープンしました。
その当時、黒豚は地元ではスーパーにもあまり出回っておらず、一般の人に食べられていなかったのです。ですからほとんどが県外用でした。しかし、どうにかして地元の人にも食べてもらおうと普及活動をしました。
その一環としてまず「百聞は一見に如かず」ではないですが、「百聞は一食に如かず」ということで「黒豚を食べる会」を作って定期的に食べてもらっていました。
そうしているうちに黒豚料理は口コミで広まり、国内外のテレビや雑誌などで紹介され、おかげさまで週末や祝祭日には大勢の観光客の方が来店してくださるようになりました。駐車場も2時間待ちだったりすることもあります。
浮田-そうですね。私たちも監査でお伺いしたとき拝見すると、たくさんのお客様で賑わってますよね。
私も何度かプライベートでも食べに来たりするのですが、ボリュームがあって美味しくて一度食べたら忘れられない味です。病みつきになりますね。メディアに取り上げられるような有名店になると、鹿児島市内などへの出店の話もあるのではないですか。
-もちろんありましたけど、私は地元霧島にこだわっています。他でも食べられるようになると霧島市まで来なくてもよくなります。それではだめなんです。霧島の風土で育てられた黒豚ですから地元に還元したいという思いがあります。だからこの町にこだわっています。

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浮田-お話を聞いていて本当に黒豚に惚れ込み、地元を愛していらっしゃるのがよく伝わってきます。
平成11年に「かごしまブランド」の認定を受けられ、平成14年にはその取り組みが評価されて「ブランド産地賞」を受賞されたのですね。
-そうです。県に熱心に働きかけて環境づくりに奔走しました。元々数が少なく黒豚生産者の高齢化や施設の老朽化など、畜産を取り巻く経営環境は大変なものでした。辞める人もでてきました。そこで生産者と一緒に農事組合法人「霧島高原純粋黒豚牧場」を立ち上げ、国の事業などを活用して一貫した黒豚の生産施設を作りました。ここでは見学用の放牧場も整備してあります。そこに私の狙いはそこにあります。
浮田
-どのような狙いですか。
-霧島市はもともと風光明媚で温泉にも恵まれ、たくさんの人が訪れる観光の街です。そこで、生産・加工・販売といった農商工連携に観光をプラスすることで波及効果がさらに高まると思いました。最近では「黒豚の館」を観光の目的地として訪れる人も増えています。店内には市内の観光パンフレットなども置いてあり、ここを拠点に霧島観光を楽しむ方もいらっしゃいます。
浮田
-なるほど。これこそ社長が目指されている農・商・工・観の連携なのですね。農業の新しい形であり、どんどん進化していくこれからの農業経営なのですね。実際、私たち税理士業界においても競争が激化しています。少し前のデータですが、平成21年から平成22年の売上高純減率は17.6%とマーッケトは縮小しています。生き残っていくためにはマーケティングを駆使して営業、広報を行わなければなりませんし、お客様のためにもワンストップ事務所を目指すために、弁護士、社会保険労務士、司法書士、行政書士などと連携を深めないといけないと思っています。
-神園事務所の指導のおかげもありまして、なんとかここまでたどり着いたところもあります。
平成20年には、この農・商・工の取り組みが日本の先進モデルとして「農商工連携88選」に選ばれました。
さらに農・農連携も私は大切だと考えています。自社で出た糞尿は農家で堆肥として使い、そこで作られた作物が豚の餌になります。農家同士が連携することで環境にも優しい循環型農業をすることができるのです。私自身も堆肥を作り、ブルーベリーを栽培しています。それを地元の方々とジャムやジュースにして販売しています。
また、黒豚は国内だけではなくアジアでも売れます。

そのためには農・商・工・観、そして行政が連携した協働共助の「チーム霧島」で取り組むことが大事だと考えています。
浮田
-社長の考えに賛同された方々がいらっしゃるんですね。そこには「いいものをたくさんの人に届けたい」というみなさんの熱い想いが込められているんでしょうか。

DSC_0653.JPG-すべてのものはモノ、金から始まるものではないと思います。その人の想いがモノを動かし、人を動かす。最初からモノ、金があったわけではないですね。商売は有言実行、言葉が命だと思っています。
浮田-最後になりますが、社長のこれからの夢とか展望をお聞かせください。

-まず、鹿児島県知事に宣伝してもらうことですね。(笑)
かごしま黒豚は古来より県民に育み守られてきた「県民豚」であるということ、かごしま黒豚は鹿児島をPRしてるじゃないですか。
光あるものはもっと光るようにしていかなければならないのです。知事にはぜひ宣伝してもらいたいと思っています。ここ霧島は可能性がたくさんある夢の宝庫です。これからもいろいろ仕掛けていきたいですね。
浮田
-まだまだ夢の途中ということですね。(笑)
時代の流れを読み、時代の流れを引き寄せ、知恵を絞って前進されている平社長。
すばらしいかごしま黒豚を未来へ繋ぐために、今やるべきことをやっていくという使命感。
私たち会計人もお客様のためにやるべきこと、あたりまえのことを怠らず、お客様と共に成長していくことを改めて痛感しました。
本日は大変貴重な時間を頂き、ありがとうございました。

 


  • 黒豚の由来と特徴

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かごしま黒豚のルーツは非常に古く、1609年約400年前の第18代藩主島津家久により琉球から移入されたといわれる。
一筋によると、その昔、遥か中国大陸から大海原を渡って琉球へ。その道の島といわれている奄美大島方面では100年も前から貴重な蛋白源として飼われ、島伝いに薩摩へ。その後鹿児島の風土と密着し長年にわたり県内で飼育されている。
現在のかごしま黒豚は明治の初期、英国から導入したバークシャー種と在来の黒豚を昭和と平成にかけて黒豚本来の良さを残しながらさらに改良を重ねて作り上げられたものである。
バークシャー種純粋黒豚は黒色で、鼻梁と四本の脚、尾端の六ヶ所に白斑がある。別名「六白のバーク」と呼ばれ、おいしい黒豚の目印になっている。肉質は筋繊維が細かく、光沢と弾力に富み、また独特の小味があり高級豚肉として全国的に高い評価を得ている。


Profile 

 「 ㈲ 霧島高原ロイヤルポーク 」 社長

平 邦範

  • 1953年10月29日生まれ
  • 鹿児島県大島郡喜界町出身
  • 趣味:作詞(霧島の歌 作詞)・ブルーベーリー栽培
  • 座右の銘:志あるところに方法有り

会社概要

産直レストラン「黒豚の館」.JPG霧島高原ロイヤルポーク
〒899-4202
鹿児島県霧島市霧島永水4962番地
TEL 0995-57-3216
FK株式会社フロンティア霧島
農事組合法人 霧島高原純粋黒豚牧場

     http://www.krp1.com/