対談 The Road to Specialists

対談: 山内 康功 × 浮田 直宏

 

The Road to Specialists

人と人から道が生まれる。対談

 

所長の浮田が、お客様の本音を聞き出す社長対談シリーズ第9弾。
今回は、鹿児島市内に本社を置き、県内外に18の支社・営業所を展開されている
株式会社大進の山内康功社長にお話を伺いました。

 

 浮田本日はお忙し中、お時間を割いていただきありがとうございます。
早速ですが、社長がこの業界で仕事をされることになったきっかけは何でしょうか?
山内―私は大学時代を大阪で過ごしました。大阪に淀川水系の神崎川というのがあるんですが、その川がとても汚い川でした。初めて見た時、醤油みたいな黒い水が流れていて「これが魚も住まない『死の川』と言われている川なのか」と衝撃を受けました。そのうち鹿児島の川もこうなるのではないかと、とても不安になりました。
当時、光化学スモッグや環境汚染の問題がクローズアップされ、やはり環境というものが人にとって、とても大事だと思い、早く鹿児島に帰ってきれいな環境づくりをしたいという想いがそのきっかけです。対談:山内社長
浮田―高度経済成長の副産物として公害問題がいろいろ出てきた頃ですね。そのような想いを持ちながらすぐ起業されたんですか?
山内―いいえ。まず最初に某コンサル会社に勤めました。その会社には5年ほど勤めましたが、自分のやりたいことをやるには会社を興さないといけないと思って、28歳の時に起業しました。その間にはいろんなことを勉強しました。
浮田―28歳で起業されたとはかなり早いですね。会社を興すにあたって立地条件がかなり重要だと思いますが、最初はどちらで起業されたんですか?
山内―S53年当時の宮之城町(現さつま町)長から、どうしても宮之城にコンサルタント会社が欲しいと誘いを受けて、宮之城町初の建設コンサルタント会社(建設測量設計コンサル)として起業しました。そこから宮之城の街づくり、過疎化問題も考えるようになりました。その後、川内市(現薩摩川内市)へも誘致企業として進出しました。現在では鹿児島市からも同様に誘いを受けて本社を鹿児島市内に移しています。
浮田―常に躍進しながら環境に配慮し、地域社会に貢献しながらこれまでやってこられたんですね。ライバル企業が数ある中でここまで躍進した要因は何だとお考えですか?
山内―当時は無我夢中でした。しかし、いいものには何でも3つの要素があり、それを兼ね備えているものだと思っています。
浮田―山内社長は従業員の方々の資格にこだわっていらっしゃいますが、それはなぜですか?
山内―昔は「芸は身を助ける」でしたが、今の社会は資格がその人の評価と言えます。
どんなに知識、技術があっても資格がないとダメなんです。資格があれば言うことが通ります。いわば資格は印籠、保証書みたいなものです。そして我々の仕事は資格なしでは絶対に仕事はできません。従業員にも、人の資格で仕事をするという考えではいつまでたっても一人前の専門家にはなれないと強く言っています。
浮田―そうですね。私たちの仕事も資格があってこその会計事務所ですから、事務所の職員にも専門家として同じことが言えます。専門家として積極的に資格取得を奨励するようにしなければと思っています。ところで、社長は健康管理にとても気を遣っていらっしゃいますよね?お酒もたばこもされないと聞いていますが・・・。
山内―アルコールはね、弱くて飲めないんです。(笑)対談:所長
私は社長の3要素(健康、考える力=行動力、経済力)の中の第一要素は健康だと思っています。肉体的にも精神的にも健康であることが「元気」だと言えると思います。
健康管理をしっかりしていたら年齢より体が動くし、何より同級生より若く見えます。(笑)
浮田―確かにお若く見えます!私も健康には気を配っているつもりですが、まだまだ十分とは言えません。
山内―同窓会に行けば「昔はよかった、若い頃が良かった」と思い出話に花が咲くけど、「ちがうんだよ、今が一番いいんだって。」と僕は言うんです。この年齢で若い時と同じくらい体が動けることの方がいいに決まってるじゃないですか。健康管理をせず、思い出だけが残るのは年を取った証拠。(笑)
浮田―じゃあ、社長は生涯現役ですね?
山内―どうなんですかねぇ・・・。65歳までは現役でと思っていますが、わからないです。
私は毎朝走っていますが、その間いろんなことを考えます。例えば来年も菜の花マラソンを走りたいとか、大会に数多く挑戦できたらいいなとか、昨年のタイムと同じぐらいで走れたらいいなとかね。
マラソンは趣味ですけど、走りながら人生そのものだと肌で感じています。
山あり谷ありのコースは、自分の体力を考えながら走らないと完走できません。
何より自分の体を十分知らなければ走れません。それとコースも知らなければ走れません。
こんなことを言ってる僕も、最初マラソンをする人はバカじゃないのと思ってました。(笑)でも、自分がそのバカになってみると悪くないなぁと思っています。
浮田―社長が健康を大切にされていることはよくわかりました。中小企業は社長が病気で倒れてしまうと、下手すれば倒産してしまいます。徹底した健康管理はさすがです。
経営者として以前から社長にぜひともお聞きしたかったのですが、一代で会社をここまで大きくされた成功の秘訣は何でしょうか?
山内―まず家族、兄妹、社員、友人など、人に好かれること。人に好かれたら必ず人からものを頼まれますよね。嫌いな人には頼まない・・・。だから人からものを頼まれる人間になること。これが基本ですかね?
人に好かれないと経営は絶対うまくいかないと思います。だけどその割には嫌われることいっぱい言っちゃうんですねぇ。好かれようと思ってるんだけど・・・。(笑)神園先生に嫌なこと言うのは私ぐらいでしたよ。(笑)2人で禁煙に挑戦したけど、「(失敗した故神園に)僕との約束はどうしたの?このままじゃダメだよ。死んじゃうよ」とか。
あと、鹿児島県で一番の会社になろうねと約束してたのに(宮之城の商工会長をしていることに対して)、税理士か商工会長かどっちなんだと問い詰めたこともありました。でも、そんな私に対して神園先生は一度も怒らなかった。僕にとって大事な人だったか対談ら、失った時は悲しかったですね・・・。
浮田―確かに、先代はおおらかな人でした。そして、祖父(故神園の父)のように政治活動が好きで、鹿児島を政治面からよくしようと思っており、税理士というよりもむしろ政治家のようでしたね。
社長は経営されてきた中で過去に大変だったこと、苦しかったことは何かありますか?
山内―・・・。(沈黙)
一番苦しかったことは、現場で従業員を一人亡くしたことです。ちょうど設立10年くらいの時でした。水路で流されて亡くなったんですけど、その時、人の命の尊さを強く感じました。その時は「ああ、もうだめになるのか」と考えました。でも、自分が生きて償わないといけないと思いました。
当時はいろんなことがあってとても苦しかったのですが、従業員を大事にしてどうにか乗り切ることができました。何より陰ながら支えてくれた家内の存在が大きかったです。
浮田―これまでに大変なご苦労があったのですね。社長はいつも明るくて豪快で、そのような素振りは一切お見せにならないので、そのようなことがあったとは全然知りませんでした。
現在ご子息も会社に入られていますが、事業承継についてはどうお考えですか?
山内―二代目の社長はできあがったものをどう変化させていくか、どう継承していくか、初代とは違う経験をすると思います。それに常に初代の社長と比較されるし、二代目の社長の方が大変だと私は思います。
世の中がグローバル的に大変な時期を迎えていますから、周りの経営者の方は「先が見えない」という言葉をよく言われますけど、先が見えないときは過去のデータを紐解いて、しっかり分析し、将来に活かすべきだと思います。まあ、こんなに世界経済が急激に変化していくなんて、何かがおかしいのでしょうね。
浮田―そうですね。世界経済が常に混沌としている状況ですが、山内社長の今後の夢は何ですか?
山内―これからも健康に留意して、世の中の安心安全を守っていく仕事をしていきたいです。
昨年の東北の震災を現地で見て、自然の力の脅威を痛感しましたね。岩手、宮城県の震災視察でいろんな人と会ってきました。地元の人と話をすると「がんばってください」とは言えませんでした。頑張ってる人にこれ以上何を頑張れと言えるのかと。銀行ローンも残って、一瞬にして家族を失って自分だけ生き残った人にどう声をかけていいのか分かりませんでした。だから「生きてください!」としか言えませんでした。
何もない状況で、なんとしてかがんばってる人に「ほんとうに、これ(この状況)で頑張れますか?」と訊ねると「生きていくしかない。死ぬよりいい。」という力強い答えが返ってきました。その時、自分がいかに幸せで、甘えているか、不平不満を言うなんて贅沢だと思いましたね。行ってよかったと思いました。
浮田―私も阪神大震災を経験して、同様のことを感じました。無念のまま亡くなっていった人たちのことを考えると、当たり前の日常がいかに幸せなことなのかと思いました。最後になりますが、今回対談させていただき、経営者のあるべき姿を学ばせていただきました。お忙しい中、長時間誠にありがとうございました。  

従業員101名(2012年4月現在)の建設コンサルタント会社の社長という(勝手な)イメージとは違い、とても温厚で、物腰の柔らかい愛妻家の山内社長でした。
故神園との懐かしい話にもふれながら、心にしみる言葉がいくつも残る対談でした。そして、なぜか「がんばろう」という気持ちにさせてもらった貴重な時間でした。

切符社長が被災地の視察の際に出会った現地の女子高生がサインした切符を拝見しました。今も財布の中に入れてお守り代わりに大事に持っていらしゃるそうです。その切符には「頑張ってます by北高」と書いてありました

 

Profile 

 「 株式会社 大進 」社長

山内 康功

  • 昭和24年3月19日生まれ
  • 薩摩川内市(旧川内市)出身
  • 趣味:日本舞踊、腹話術、カメラ
  • 座右の銘:人から好かれること。人からものを頼まれる人になること

株式会社 大進 

〒890-0015株式会社 大進本社
鹿児島市新照院町21-7
TEL 099-239-28007
     http://www.net-daishin.co.jp/

基本理念
総合ンサルタント(技術アドバイザー)として、人と自然が一体化した街づくりを目指し、地域のより良いインフラ整備を考え皆さま方々がそれぞれの街で、出会いや感動が生まれることを願っております。
我社は、とりわけ公共事業の各分野において、調査、測量、設計、計画、企画に関して自己の能力を発揮して、社員一人ひとりが主体的な行動で地域に貢献して、心豊かな社会を創造することを基本理念にしています。