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対談:桑木野 芳明 × 浮田 直宏


 

The Road to Specialists

人と人から道が生まれる。対談

所長の浮田が、お客様の本音を聞き出す社長対談シリーズ第 15弾。
今回は、薩摩川内市を中心に住宅建築、店舗開発と幅広く展開されている株式会社技建の創業者で、平成29年10月5日をもって会長に就任された桑木野芳明様にお話を伺いました。

起業から事業継承まで

浮田この度は会長へのご就任おめでとうこざいます。

桑木野会長ありがとうございます。

浮田早速ですが、起業のきっかけ、独立された経緯をお聞かせください。

桑木野会長大学卒業後、東京で東京電力の下請けの土木運輸会社に勤めました。そちらを退社後、上場企業の総合建設コンサルタント会社に勤め、そこで大手企業の宅地分譲開発、ゴルフ場開発などの不動産や土地開発について学びました。

浮田三井不動産や勧銀土地建物などの宅地開発に携わられたと聞いておりますが、なぜ東京から戻られたのですか?

桑木野会長弟が大学進学のため鹿児島を離れることになり、母が1人でしたから、弟と入れ替わりで鹿児島へ戻ってきました。それが昭和45年でした。ますは、大学の先輩に誘われ住宅会社に入りました。入社後間もなく川内営業所を開設することになり、所長として勤務することになりました。その際、高校時代所属した野球部の後輩を数名誘い働いていましたが、2年も経たないうちに本社の業績が悪化して倒産。契約済のお客様のこ理解やこ支援もありましたので一念発起し、業務を引き継ぐ形で独立しました。それが28歳頃だったかと思います。

浮田その時に「技建』という社名でスタートされたのですか。

桑木野会長当時は、悌日本住宅技建でスター卜しましたが、省略化して技術の建築という意味で『技建」という名前をつけました。独立した頃は川内に住宅会社が少なく、鹿児島市内でも融資から建築までの全てをアドバイスできる会社があまりありませんでした。お客様にとって密度の高いこ提案ができる、この点を弊社の強みとしました。東京での経験が活きる創業となり、他社とは差別化が図れたのではないでしょうか。

浮田今はそのような形で営業される住宅会社はた<さんありますが、当時は希少でしょうから非常に喜ばれたのではないですか。

桑木野会長はい、おかげさまでスタート時点から上手く行きました。その後住宅に留まらす、商業施設や遊技場などの士地の取りまとめから建築まで担うようになりました。今では、『家づくりは"まちづくり"である』というコンセプトで取り組んでいます。

浮田家が"まち"をつくる...まさにその通りですね。その他の強みもお聞かせくださいますか?

桑木野会長住宅はツーバイフォー工法主体の建築です。一般の建築と違って構造的にも強く工期も早いです。少々コストは上がりますが大手ハウスメー力ーと戦えるシステムであり、差別化に繋がつています。

浮田ツーバイフォーを始められたのはいつ頃からですか?

桑木野会長独立してから5年ほど経った頃、当時県内でツーバイフォーを取り扱う会社が3社ほどでした。『これは行ける』と思い、本場アメリカへ視察に行きました。従来工法と違って強度がかなりあることと、少し工夫をすることで準耐火構造にもなっているので火災保険料もかなり安くなります。

浮田その当時アメリカに行かれたのはすごいですね。若い頃から色々な事に取り組まれ、時代の先端を行っておられますね。では40年という長い創業期間の中で、これは大変だったということがありましたか?

桑木野会長社員にもお客様にも恵まれ、比較的順調に来ましたが、創業から4年経った頃、建築主の倒産で多額の建設資金が回収困難になったことがあります。その未回収の工事代金の代わりに、所有されていた商品を回収することになりました。建築主とそのこ家族が立ち会われる中、商品を引き上げたのですが、今でもその時のこ家族の涙を忘れられません。それから引き上げた商品を約5年かけ売却し、得た金額は工事代金のほんの一部。創業間もない私どもにとって資金繰りに影響がでるほどの出来事でした。このことで多くの学びを得たのですが、今も苦く悲しい思い出です。

浮田この経験を糧にされたからこそ御社の発展があるのですね。このタイミングで会長になられたのには何か理由がおありですか。

桑木野会長はい。身内に後継者がおらす、専務や常務が60代半ばにさしかかり、皆が立派にやってくれていますので、早くバトンタッチしようと思いました。私自身がまだまだ働ける状況にありますから、あと10年くらいは頑張りながら承継して行きたいです。『工ンドレスパワー』ですよ。(笑)

浮田エンドレスとは力強い!今、どこの中小企業も事業承継と後継者に苦慮している時代ですが、こ決断されたのですね。

社会貢献への熱い思い

浮田会長は本業のみならす、他にも色々と積極的に活動されているとお聞きしました。主な活動を教えて頂けますか?

桑木野会長『薩摩川内未来塾』の一員として、『ス卜リートピアノ』 という取り組みに全社員で参加しています。『ストリートピアノ』とは、家にピアノが眠っていらっしゃる方々から寄付して頂いたピアノを調律し、地元高校の美術部がペインティングを施し再生したものです。この『ストリートピアノ』をメインに毎年、東日本大震災が発生した3月11日14時46分に合わせて東日本の方向を向き黙とうし、祈りと歌声を捧げる音楽会を各地で開催しています。必要経費は多くの企業からの協賛金で賄い、後は場所提供となるプラッセだいわ川内店様他、ピアノの先生やフルー卜奏者、合唱団、地域の幼稚園生など、全てボランティアです。昨年は薩摩川内市をはじめ全国17か所、北は小樽や南三陸町、南は名護などでも開催しました。
次回は平成30年3月11日に第7回目を予定しています。これからもこの活動は全国各地へどんどん広がっていくはすです。また再生ピアノは音楽会後もプラッセだいわ川内店様や各地に設置してありますので是非自由に奏でて頂きたいです。

浮田震災は我々が決して忘れてはいけない悲しい出来事ですが、悲しみだけではなく、音楽を通じて鎮魂し、災害を記憶して行くというこの取り組みはきっとその輪を広げて行くでしょう。その他、薩摩川内市の広報や、新聞にも御社の寄付の記事が出ていますが、どのような内容かこ紹介ください。

鹿児島建設新聞

桑木野会長6年前から毎年、安全祈願祭時の玉串奉典と共に社会福祉協議会への寄付を行っています。また、創業40周年を記念して薩摩川内市に百万円を寄付しました。学生時代、すっと野球をしていたので、東京から帰ってきた時に硬式少年野球チームの「川内スラッガーズ」を知人と立ち上げ、川内で硬式野球の大きな大会を開催したり、甲子園に行く選手も育てたりしました。この活動が認められ、子供たちの育成・教育に功績が大きいと薩摩川内市から体育功労賞を授与された事もあり、寄付は給付型奨学金制度に活用して頂きました。平成29年度もこの寄付を贈呈することができました。今後も継続して行けたらと思います。


浮田野球チームを創設し、この地に根付かせたということだけでもかなりの功績ですが、更に奨学金制度にまで寄付をされるとは、若者育成への深い思いに感銘を受けます。

桑木野会長また、自社の現場巡回車6台にAEDを載せました。全社員が緊急救命講習へ参加し、AEDのマニュアルをマスターしています。現場内での事故や、巡回中何かあったら駆けつけて欲しいと思っています。社員には、地域の行事やレジャーに行く時も会社のAED搭載車で行くようにと話しています。今のところ無事故で幸いですが、何かあればそれなりの貢献ができるのではないかと思っています。

浮田自社のみならす社会貢献まで。会長の地域を思う心が強く伝わります。では最後になりますが、今後の思いをお聞かせください。

桑木野会長社長の権限を引き継ぎましたから、ここ数年でいい形で承継ができればいいかなと思っています。そして更なる発展・繁栄を目指し、積極的に社会活動に参加しながら、地域の皆様方に私どもの喜びを感謝の心を添えて還元できるような会社でありたいと思います。

浮田創業者として経営者としてまさに理想と言える在り方。大変勉強になりました。本日はお忙しい中、誠にありがとうこざいました。

株式会社技建 会社概要

会長 桑木野 芳明
代表取締役社長 中村 敏一
住所 〒895-0012 薩摩川内市平佐町1564番地
電話番号 0996-25-2208
業務内容 ・建築設計施工
・宅地開発業務
・店舗企画、開発、コンサルティング
・不動産事業(建売、賃貸、仲介)